夜の海

漆黒の空を見上げ、俺は大きく伸びをした。
約束の時は数分後に迫っているがユウコの姿はまだ見えない。
まあ、いつもの事だ。と、さしたる感情の揺れもなく俺は煙草に火をつける。ユウコと会うのは今回で三回目になるが、どれもまともに来た試しは無かった。約束の時間を数分回った頃、携帯が震えた。



唾液が糸引くような、唇を重ねた後、俺とユウコは車を降りた。
目と鼻の先には夜をも飲み込んだ漆黒の海が広がっている。ユウコは海と陸を仕切るフェンスに肘かけ、しばし無言で夜の海を見ていた。海が見たいと言ったのはユウコだった。享楽的に今を生きているようなユウコにも抱えている重荷があるのかもしれない。あるいは、これから始まる時間への憂いなのかもしれない。
しかし、俺は何も聞かない。何も言わない。俺はユウコにとって需要を満たす存在。それ以下でもそれ以上でもない。
それに好奇心は猫を殺すとも言うだろう? すでにキャストは振られている。後はシナリオ通りに進行せしめるのみだ。沈黙を破ったのはユウコだった。グロスのきいた厚めの唇から言葉が紡がれる。
「海ってさ」
俺は海からユウコに視線を移した。
「海ってさ、特に夜の海。何だか吸い込まれそうな感じしない? なんか恐いよね」
ユウコはただ真っ直ぐに海を見ていた。確かに夜の海は恐い。誘い、誘われている気がしないでもない。
俺は何も言わず首肯した。ユウコは真っ直ぐに海を見たままだった。