ドロップ

十四日ぶりの休日の目覚めはフライングニードロップからだった。
悶絶し、呻き声すらでないでいる僕に二撃目のドロップキックが背中に炸裂した。
一体、何だっていうんだ。襲撃犯が何かを言っている。その声を僕は知っている。いや、最初から分かっている事だった。こんな事をしてくるヤツは少なくとも僕の周りでは、たった一人しか居ない。
「起きなさいよ。いつまで寝てるつもり?」
痛みで奪われた感覚が戻ってきた。顔を上げた刹那、ボディへのローキックが空気を裂きながら飛んでくるのを僕は見逃さなかった。そして、その足を眼前で掴み、僕は不敵に笑ってみせた。
「おはよー」
と、ユイは微笑した。が、獲物を狙う狩人の眼光が禍々しく輝いている。「甘い!」
そして僕の視界に飛び込んできたのは、制服のスカートから伸びた白い足とレースがあしらわれた白いパンツだった。

お。

ガツンと、右即頭部に衝撃があった。激しく脳を揺さぶられ、僕はぐるりと白目を向き昏倒した。
薄れゆく意識の中で「また寝るのかよ」と、言う声が聞こえた。



数時間後。
僕は首にアイスノンを宛がいながら、うなだれていた。
視線をあげると上機嫌にTVを見てユイが笑っていた。
「ところで」
「ん? 」ユイが僕を見る。「その制服はなんなの?」
ユイは濃紺のブレザーと膝上丈のスカートを着ていた。このへんでは有名な名門進学高校の制服だった。
ユイが怪訝な顔で僕を見る。「打ち所悪かった? 一般的に学生が制服を着るのは当たり前だと思うんだけど」
「そうだろうね」と、僕が憮然とした面持ちで言うとユイは立ち上がり可愛い? と、クルリと廻ってみせた。
しゃくなことに可愛かった。
「聞いているのはそういう事じゃなくて何で制服着て、此処に居るのかってことなんだけど」
ユイはおもむろに僕の頬をつねあげる。「全くどの口がそういう事、言うかな」「んががが」
「二週間だ」「あが?」
「耳が遠くなったのか? 十四日だ」
ユイが手を離す。頬がヒリヒリと痛む。ああ、と僕が思い当たり、それからニヤニヤしてみせた。なんだ、寂しかったのかよ。ヒュン。唸りをあげて、廻し蹴りが僕の眼前を素通りしてゆく。全く見えなかった。
「何よ、気持ち悪い顔して」下手な事を言うと殺すよ。僕には、そう聞こえた。
「でも、仕事がデスマってるから終わるまでは会えないって言わなかったかな?」
「言ったよ。聞いたよ。分かったとも言いましたよ」
「じゃあ、何で怒ってるのさ。話が全然、見えないんだけど」
「社会人になると感情が麻痺するって話を聞くけど本当だね」ユイは心底、呆れたように言った。「例えるなら、駅前のロゼリア」「よく分からないんだが、どうしてロゼリアがでてくるんだろう」
ロゼリアって何?」「ロゼリアはよく待ち合わせに使う喫茶店です」「正確には待ち合わせに使う、ケーキの美味しい喫茶店です」そういえば、ロゼリアのレアチーズケーキが美味しいからと、ユイにねだられてホールで買わされた事もあった。
「甘いモノは天敵なんだ。でも、ロゼリアに行くと必ずケーキを食べてしまう」まるで世界の終わりとでもいうみたいにユイは悲愴な面持ちをした。僕は吹きそうになるのをこらえる。「行かなきゃいいんだ」
「まさにその通り。これ以上の答えはない」ユイはもっともらしく首肯し「だから、社会人は冷血漢だと言うんだ。感情をコントロール出来るぐらいなら、大事な学業をサボってキミを起こしには来ない」と、溜め息まじりに言った。僕は悲しくなってきた。何で、高校生に溜め息吐かれなくてはならんのだろうか。
「ところで」ユイが隣に座り、身体を押し付けながら僕の目を覗き込んでくる。
「イタガキ アヤコって誰?」
もし、僕がコーヒーを飲んでいたなら確実に噴出していたし、リンゴの皮むきをしていたなら指を飛ばしていただろう。誤魔化しようも無い程、僕は動揺を隠せなかった。
「ふうん」僕の反応を見て、ユイはすくっと立ち上がった。殺られる!!! 僕は反射的に顔を腕で覆った。
しかし、蹂躙されるべき攻撃はやってこなかった。それどころか恐る恐る上げた視界に飛び込んできたのは蹴りでも無く、扉を開け、立ち去ろうとするユイの姿だった。

僕は慌ててパジャマの上に脱ぎ散らかしたコートを引っ掛け、ユイを追いかける。